食べなかったお菓子
楽屋。ひとりきり。みんなよりも少しだけ忙しい僕。
今日もこの前に現場があって、撮影も取材も一番最後。
荷物を放り込むだけで後にしていた楽屋の中は当然だけど、誰もいない。
そもそも、前の仕事が随分押した僕がここに来た時点で、他のメンバーは、とっくに帰ってしまっていた。
がらんとした空間に冷えた空気。
ひとりきり。
僕は不意に、体に圧し掛かるような重い疲労を感じて、壁際のソファに崩れるように座り込んだ。
うん、誰か残っているなんて、最初から期待しちゃいない。
だって、と考えてみる。
ひとりが好きと認識されているであろう僕を知っている周りが、あえて僕をひとりにしてくれたのかもしれない。
…なんて、ありきたりで陳腐な思考回路。
自分を慰撫して都合のいい理由をつけて納得して、その繰り返し。ひとりあそび。
ふっと息をついて、伏せていた顔を上げた。そして、
「………いっこは、俺の分、やろな。」
目の前のテーブルの上にぽつんと置かれた、手の平に乗る程の菓子の包みが目に入る。
洒落た、というよりはむしろ少女趣味なその包みを手に取って裏返してみると、
そちら方面に疎い僕でも知っている菓子店の名前があった。
包みを破らずにテーブルに戻し、何故か並べて置かれたもうひとつの同じ包みを手にする。
それは既に開封されていて、中を覗き込むと、
「…食べかけかい。」
一口齧った跡のある、それはレーズンを混ぜ込んだクリームを挟んである、クッキーサンドだった。
なるほど、一応、味見はしてみた訳だ。で、お気に召さなかった訳だ。
袋を手の平の上で逆さにすると、焼き菓子の部分が崩れた細かな欠片と一緒に、それはぽとりと落ちてきた。
端が欠けたそれを弄びながら、考える。
坂本君は出されたものを残すなんて事はしないし、長野君はまずこの店名に喜ぶだろう。
井ノ原君は腹が減っていれば食べそうだし、いつもポケットにはお菓子持参、甘党の健君は言わずもがな。
残るのは、ひとり。
菓子を転がす手を止めて、まじまじと視線を向けた。
一瞬で、体温が上がり、僅かに鼓動が早まる。視線は、あの人の歯型が残る食べ跡に吸い付けられて、離れない。
変態やな、と思う。自分の事を。
恭しい手つきで菓子を摘み、目の高さまで持ち上げる。
鋭い噛み跡はもしかしたら、あの愛らしい八重歯が立てられた痕跡かもしれない。
指先で、そこをそっと撫でてみる。
微かにしっとりとしているのは、クリームのせいだけでなく、
あの人の唇の湿り気がうつっているんじゃないだろうか、なんて。
下唇がふっくらとした、触り心地のよさそうなあの人の口元を想像して、たまらない気持ちになる。
散々迷った挙げ句、僕はその齧り跡にゆっくりと唇を押し当てた。
間接キス。なんて、可愛らしいものじゃない。
密かに恋焦がれる人の食べ残しを見て、こころときめかせる僕。
それに触れる事で、こんなにこころ高鳴らせる僕。
…分かってるよ、言われなくても。ちょっと、オカシイ。
けど、オカシイって自覚があるだけ、まだマシじゃないか?自覚あるならやめろって?それができたら苦労はしない。
と、ひとり不毛な言い訳をこころの中で繰り広げたって、誰も聞いてやしないけど。
一旦、名残惜しく唇を離して、あの人と僕とが時間を越えてくちづけあったその部分を、見つめる。
こんな僕が、あの人に好いてもらえる筈はないから、せめて。
勝手な理由づけと自己慰撫。
僕は、その菓子に躊躇いなく齧りつき、時間をかけて咀嚼した。もちろん、噛み跡のある部分から。
これがあの人で、こうして手の中に納めてキスして食べて飲み込んでしまえればいいのに。
そんな不穏な考えが、泡沫のように浮かんでは、消えていく。
さくりと優しい音を立てて噛み砕いた、クッキーサンド。予想通り、少女趣味な甘さ。
不味くはない。ただ、甘いクッキーに甘いクリーム、甘いレーズン。どこまでも、甘さが付き纏う。
きっとあの人は眉間に深く皺を刻んで、甘、と吐き捨てるように呟いただろう。
あの人の食べ残しを食べていると、その様子が簡単に目に浮かんで、思わず顔が緩んだ。
酷く僕を苛んでいた疲労感は、嘘のように消え失せていた。
疲れた時は、甘いもの。確かに、今の僕には効果があるみたいだ。
恐らくは、あの人の食べ残しを食べている昂揚感が、僕を興奮させているだけかもしれないけれど。
手の平に乗る程のクッキーサンド、ほんのふたくちでなくなってしまう。
甘さでなかなか飲み込めないまま口を動かし、手についた菓子くずを払いながら、荷物を手にして立ち上がる。
テーブルの上には、僕の分の菓子の包みが、所在なく鎮座している。
持って帰ろうかと手を伸ばしかけて、…やめた。
僕の分の菓子。ひとりぼっちで残される方が、お似合いだ。
たとえ捨てられても、誰かに食べられても、そんなの知った事じゃない。
荷物を片手に楽屋を出る。寸前、扉に手をかけたままで一瞬振り返る。
僕に置いていかれようとしている小さな包みは、寂しく身動きのとれないままで、
責めるようにその存在を主張している。
ほんの少し、胸が痛んだ。罰に違いない。
--------------------------------------------------------------------------------------
なんでしょう、青は岡田さんをとにかく壊れた人として書きたいんでしょうか。
もし周りに人がいれば「残すん?もったいないし俺食うわ」で、なんの変態性も生まれない訳なんですが。
岡田さん片思い的なもの(しかも既に諦めている)、もっと書きたいです。
しかしこの岡田さんは分かってないなぁ。
もしかしたら、あの人はひとつぽつんと残されたお菓子が寂しそうに見えて、自分のを残していったかもしれないのに!(妄想)
あ、お題はダブルミーニングで。
「森田さんが食べなかったお菓子と、岡田さんが食べたけど食べなかったお菓子」です。
photo by ミントBlue