romance






壜の中の少年は、瑞々しい水蜜桃の果肉を思わせる白い肌の持ち主で、
それは硝子の壜を透かしてみてもはっきりと分かる程だ。
柔らかそうな頬と唇、柔らかそうな髪。
その身に纏う雰囲気は甘やかで、眺めているだけで心が和む。

少年には、「閉じ込められている」という意識はないらしい。
液体の中で息ができるのだろうか、というような疑問は、考えるだけ無駄な事のようだ。
実際彼は、壜の中で何の支障もなく、生きているのだから。

カズナリは、毎日のように壜の中の少年に話しかけた。
日々の他愛ない話。その日の出来事や読んだ本、見たテレビ番組。歌を歌って聞かせる事もあった。
壜の中の少年はやさしい瞳をしていて、カズナリだけを見つめていた。
カズナリが悲しい出来事を話すと表情を曇らせ、楽しい話の時には、にっこりと笑ってくれる。
ギターを弾きながら歌うと、柔らかく微笑んで耳を傾けた。確かに、カズナリの声は、彼に届いているようだった。

月のある夜には、あの少年の言葉の通り、窓辺に壜を置いて、光をあてる事を欠かさなかった。
輝く月の光を浴びた壜は、確かに色つき硝子である筈なのに、不思議な事に、中にいる少年の姿を天然色で映し出した。
最初はそれで満足を覚えていたカズナリだったが、日が経つにつれ、それだけでは満たされない自分に、苛立ち始めた。
何故なら、壜の中の少年からは、声が聞こえなかったからだ。
それに勿論、直に触れる事も叶わない。




その感情は、まるで、拙い恋のようだ。
声が聞こえない。触れられない。
声を、聞きたい。
その柔らかそうな頬に、髪に、唇に。ふれてみたい。




「………栓、抜くとどうなるんだろ。」
今日は、あの日と同じ、月の無い夜。
枕元に置いた壜の底で、体を小さく丸めて眠っている少年を眺めながら、カズナリは、ずっと気になっていた事を言葉にした。
声に出すと、それは案外簡単そうな事に思える。
昔話の玉手箱のように、煙が出てきて年をとっちゃうのかな。
それとも、爆発しちゃうんだろうか。three, two, one, BOMB!
どれも、現実性に欠ける気がした。尤も、この少年の存在自体が先ず何よりも、現実に考えて有得ない事ではあるのだけれど。

「なぁ、開けると、どうなっちゃうんですか?」

耐え難い誘惑。眠っている少年に尋ねてみても、当然だが答は返ってこない。
安らかな寝顔の少年の周りを、炭酸の細かな泡がゆっくりと立ち昇っている。
壜に耳を寄せると、泡の弾ける微かな音が、少年の囁きのように聞こえる気がした。
歯痒さに、カズナリは壜の表面を、指や頬や唇で、幾度も辿った。爪で引っ掻いた。歯を立てた。

こんなに、触れたいのに。




気がつくと、眠ってしまっていた。
暗緑色の硝子の壜を抱き締めて。それはまるで、愛しい人を腕に抱いているかのように。
片手で目を擦りながら壜の中を覗き込むと、少年が、心配そうにカズナリを見つめていた。
大きく澄んだ瞳はまるで、自分達の間を隔てている、羅夢音玉のようだ。

感情は、伝染する。
カズナリの苛立ちや欲望は、この小さな彼にも伝わっているのだろうか。
そうなら、きっと苦しいに違いない。
こんなに小さいのだから、自分を苦しめている気持ちが伝わっているのなら、潰れてしまいそうなんじゃないだろうか。

カズナリは小さく溜息をついて、指先で壜の表面をそっと撫でた。
その動きに合わせるように、少年は手を伸ばして、壜の内側からカズナリの指の動きを追うように辿った。
それだけで、もう、堪らなかった。

「……………もう、開けても、いいかな。」
堪らなくなって発した言葉に、少年は困ったような、少し悲しい顔をした。




硝子玉を押し込むと、冷たい泡が勢い良く弾けて、視界を奪った。カズナリは一瞬目を閉じて、そして目を開いた。
羅夢音壜は、手の中にあった。不思議な事に、あれだけ泡を浴びた筈なのに、カズナリも、部屋も、何も濡れてはいなかった。
壜を覗き込むと、中身は空っぽになっていた。曹達水だけではなく、少年の姿も消えていた。
ただ、硝子玉だけが残って、壜を振るとカランと澄んだ音を立てた。
見回すと、部屋の窓が開いていた。
カーテンが風に微かに動く中、カズナリの周りには、雪色の羽根が無数に散らばって、風に合わせて揺れていた。





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