大きく開け放した窓にかけたカーテンの色は、限りなく白に近い、ごく薄いグレイだ。
二人掛けの白いソファの端にジーンズ地に包まれた膝を抱え、体を持たせかけて、ぬるめに入れたティー・オ・レのマグカップを両手で包み込み一口ずつゆっくりと飲みながら、岡田は意識を半分まどろみの中に置いている。
カップの色は、飲み物の色が映えるように、白がいい。それも、真っ白ではなく、少し甘みがかった生成り色。そうすれば、ホットミルクの清冽な白も、飲めるから。
頑なにそう主張したのは岡田で、カップの色に拘りを見せない森田は簡単に折れ、手にしていた黒地に赤のフラッグチェックのマグカップを陳列棚に戻した。
それ以来、色に対する拘りは岡田がほぼ、主導権を握っている。時に押し切られる事もあるけれど、それはそれで、岡田の好む束縛を感じる事ができて、心地よい。
たとえば、今着ているシャツは、森田に選んでもらったものだ。長袖の綿素材のシャツ。色は白。手にしたカップとは違い、目の覚めるような混じり気のない洗い晒しの白を、前を開けてゆったりと羽織っている。
どうして白なのか、と尋ねると、森田は少し口元をもごつかせてから、白いシャツは、お前に抱き締められる感覚に似ているからだ。と、早口で教えてくれて。岡田は思わず彼を人目も憚らずに腕の中に納め、額を叩かれた。
それ以来、岡田はひとりで部屋で寛ぐ時、好んでこのシャツを身に纏う。逆に岡田は、白いシャツの感触を森田に重ねているのだ。飾り気のない白い肌触りは、彼こそをイメージさせる。
ぶっきらぼうで、繊細で、時に残酷なまでに純粋な、あの人。
今日は昼間のロケだけで帰ってこられる。そんな事を言っていた筈だから、寄り道さえなければ然程遅くはならないだろう。
森田から伝えられたスケジュールを頭の中で反芻しながら、マグカップをまた口へ運んだ。
あの、懐かしいような匂いが窓から漂ってきたのは、その時だ。
岡田は殆ど意識しないままにソファから立ち上がると、半分程中身の残った手の中のカップをテーブルに置きながら、ベランダに続く窓へと近付く。
閉じていたカーテンに僅かに隙間を作ってそこから外を覗くと、空はカーテンと同じ色にうっすらと覆われていて、景色が微かに歪んで見えた。窓は開いているのに、曇った硝子を通して見ているような、そんな錯覚めいた景色。
雨が降っている。そう気付いたのは、裸足のままでベランダへと足を出したその時だ。
音もなく、あまりにも細やかな霧雨なので、分からなかった。岡田を誘ったのは、たちこめる水の匂い。
ほんのりと濡れて色を変えているコンクリイトを裸足のままで歩き、ベランダの手摺に体を凭せ掛け、身を乗り出すように両腕を広げた。
さらさらと、降っているかいないか分からない程の水の粒が、天に向けた手の平を微かに湿らせていく。
水分が染み透ってくる優しい感触は、かの待ち人を思い起こさせ、岡田はキスを受けるように目を閉じ、空を仰いだ。
みずのなかをおよいでいるみたい。みずのなかにすむいきものになったみたい。
微かに息苦しい、人魚にでもなったような、そんな感覚。
がちゃり、と音を響かせながら玄関の鍵を開けると、森田は家の中に向かって、ただいまと声を向けた。
しかし、今日はオフで家にいる筈の麗しき恋人の声が、返って来ない。
家にいる時は律儀な程に、おかえり。と微笑みを伴って玄関まで出迎えてくるのに。
どこかへ出かけているんだろうか。駐車場には岡田の車は止まったままだった。この雨の中を、歩いて?
ちょっとそこまでコンビニに、なんていうのも、オフの今日は無精だろうに、どこをほっつき歩いているのか。
首を捻りながら靴を脱ぎ、鍵をキーボックスに放り込むと、まっすぐにリビングに向かう。
いない。
床の上にも、気に入りのソファの上にも、その姿はない。転寝でもしているのかとも思ったが。
テーブルの上にはカップがしんと置かれていて、手に取ると中に残っているティー・オ・レは、すっかり冷たくなって、薄く膜を張っている。
ポケットから携帯電話を取り出す。勿論、電話着信もメールもない。
せっかく、明るいうちに帰ってこられたのに。自分だけが、岡田と過ごす時間ができた事を、楽しみにしていたみたいだ。
ち、と小さく舌を鳴らして、いっそどこかへ出かけて来ようかと思った森田の目の端で、
カーテンが揺れた。
思わず目を見開くと、風に揺れているカーテンに近付く。
曇り空のようなその布をシャ、と音を立てて引き開けると、ベランダに通じる掃き出し窓が大きく開かれていた。
帰ってくる途中から降り出した雨は、相変わらず霧のような細やかさで、体に音もなく纏わりつく。
視線を下ろすとコンクリイトのベランダには、岡田の体が倒れていた。
「おい!」
裸足のままで駆け寄り傍にしゃがみ込むと、腕を投げ出し横向きに倒れている岡田の体に手をかけて、揺り動かす。
岡田の体を包んでいる白いシャツとジーンズはしっとりと重く、かなりの時間をここで過ごしていた事が容易に想像できる。
森田が体を揺らせると、降りている瞼を縁取る睫毛の先から、溜まった水滴が滴り落ちた。
「おい、岡田、おいってば!」
くったりと力を失くしたままの体。脹れ上がる不安のままに執拗に揺さぶると、漸く岡田の睫毛が震え、微かに身じろいだ。
「ん………、ごう、くん?」
薄く開いた唇から零れた眠たげな声色に、体を揺する手を止めて、首を傾げてその顔を覗き込む。岡田は小さく瞬きを繰り返しながら目の前にある森田の顔を見つめた。
そして、体を仰向けに動かすと、投げ出していた腕を持ち上げて、森田の両頬を掌で包み込む。
「……なんや、どないしたん。泣きそうな顔、して。」
「うるせ、馬鹿やろ……。」
顔を背けて悪態を吐くと、岡田はまだ夢の中にいるような表情でふわりと笑って、包んだ頬をさわさわと撫でた。
しとどに濡れた掌から、森田の頬へと水が移る。岡田は満足そうに呟いた。
「ほーら、これで泣いても分からへん。」
「泣かねっつんだよ。…何してんだよ、風邪引く気か。」
「ちゃうよ。……人魚になった夢、見てたんや。雨のせいやな。雨が、剛くんみたいに優しいから。」
夢見心地に息をつき、脈絡の定かでない言葉を連ねながら、頬に置いていた手を森田の背に這わせ、自分の体の上に被せるように抱き寄せる。
黙りこくってされるがままの森田に、岡田はごめんな、と囁いた。
森田の背中を、霧雨が濡らしていく。
その、確かに優し過ぎる感触に、森田は漠然と岡田を理解する。
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うん、うん。意味分からないですね。すいません、すいません。
日常の中にある非日常のようなものを書きたかったんです。おりしも梅雨入りしましたし。
雨を疎んじる人は多いですけど、青は好きです。
「魚」と聞いて、青的には「人魚」「水≒愛」「水を得たナントカ」でした。
しかし、お題と言えば岡田森田になっている訳なんですけど!他にも誰か書きたいんやけども!
誰がいいかしらん。実験的な組み合せ、してみたいなー。
photo by splay