ギヤマン細工師と僕





今でない時、ここでない場所でのおはなし。




diamante worker and I
 


そのギヤマン細工は、山と海に挟まれたこの小さな町の、いちばん大きな通りにある、大変に古びたお店のショウウインドウに、ぽつんと飾られてありました.
俊介には、それが一体なんの為に作られたものなのか、どれだけ見てもさっぱり見当がつきません。
けれども、なんの為に作られたのだか分からないそのギヤマンはとても美しく、俊介の心を仄かにときめかせ、途方もなく強く惹きつけるのでした。
色は、あお。濃くも薄くもない、透き通ったあおでありました。その「あお」は、光の当たる加減や角度によって、様々な表情を見せました。真夏の深い海の色に見えたり、冬の晴れ渡った薄い空の色に見えたり、時には野に咲く竜胆や菫の色に見えたりもします。
形はというと、首が細く底に向かって緩やかにふくらんだ、一滴の雫のような。そして口の部分には、今蕾を綻ばせたばかりの花のような、可憐な細工の蓋が差し込まれています。その蓋もあおい色をしていて、壜と蓋にはまるで継ぎ目などないのではないかと思われるほどに、ぴったりと填まっていました。
蓋の花飾りの他に装飾は全くなく、それならば質素な作りなのかと思いきや、それがかえって上品な、凛とした様子に見えました。
俊介は、仕事の行きと帰りとに、このお店の前を必ず通ります。そして、そこに今日もギヤマンがあるのを見て、ほっと胸を撫で下ろすのでした。
そして、ほんの少し足を止めて、一点の曇りもなく磨き上げられた水晶硝子のショウウインドウに額をくっつけるようにして、あおいギヤマンを眺めます。それが俊介の、毎日のささやかな楽しみなのでありました。
ショウウインドウのなかに敷き詰められた濃紺のビロウドの上には、そのギヤマンと一緒に様々なものが並べられています。
一見してハンドメイドだと分かる、絹とレエスの豪奢なドレスを着せられたアンティークドールや、銀で繊細に編まれた小さな宝石箱。大きな石が填め込まれた古めかしいロザリオに、釣鐘草の花を返したような愛らしい形をした、小さなティーカップのセット。 勿論ひとつひとつに、細い飾り文字で書かれた正札が添えられています。しかし、ギヤマンにだけはそれが、ありません。
きっと、値がつけられないくらいに高価なものなんだ。俊介は思いました。そして、切ないような溜息をつくのでした。
俊介はこの町の教会の手伝いをして、ひとりぼっちで暮らしています。普段は牧師さまを手伝って、子供たちに文字や物語を教えたり、細々とした雑用をしていますが、日曜日には小さなパイプオルガンを弾いたりもします。決してうまくはないのですが、俊介でなければこのオルガンは、良い音を鳴らそうとしないのです。
神様に仕える仕事ですから、お給金は多くはありません。毎日のパンを買ってスウプをこしらえると、お給金はほんのぽっちりしか残りません。
けれど俊介は、あのギヤマンに出会ってからというもの、週に一枚の銀貨を枕の下に押し込んでいました。その為には、日に三度のパンとスウプを、日に二度に減らさなければなりません。
それでもいつかきっと、あのギヤマンを買いに行きたいと、俊介は心密かに思っていたのです。
それが、秋のはじめの事でありました。




ギヤマンに出会ってから、三月になろうとしていました。季節は変わろうとしています。冬を知らせる妖精が吹き鳴らす木枯らしの笛が、茜色や黄朽葉、琥珀色に色づいた木の葉を散らします。
俊介はほんの少し、やせっぽっちになっていました。そして、枕の下の銀貨は、十二枚になりました。
銀貨十二枚というと、それは金貨一枚と同じです。そんな大金、今までに一度に持った事はありません。これならば、あのショウウインドウの中に飾られているものなら、どれだって買う事ができます。その上、いくらかお釣りが戻ってくるくらいです。
俊介の胸は、とくとくと高鳴りました。きっとこれだけあれば、大丈夫に違いない。
ところが、一日の仕事を終えてあのお店に来た俊介は、その場に立ち尽くしてしまいました。今朝、通った時には確かにあったギヤマンが、そこから姿を消していたのです。買い手がついてしまったのでしょうか。
たずねてみよう。
俊介はどうしても諦める事ができず、お店の扉を押しました。古びた扉は軋みなく開き、扉の内側に吊り下げられた銅製のベルが、沢山のランプの暖かな光に照らされたお店の中に、カランコロンと響きました。

「今しがた、閉めたばかりなんですけどねぇ…、おや。教会の、」

声が、聞こえました。俊介がそちらへ目をやると、丁寧に磨き上げられて光を柔らかく照り返す家具や食器やいろいろなものの向こうに、気難しげな顔をしたおじいさんがいて、銀縁の眼鏡の向こう側から俊介を値踏みするように見つめています。このお店の御主人です。
そしてその前には、多分俊介よりも少しだけ背の高い男の子が立っていて、おじいさんと一緒にこちらを見ていました。
俊介は、閉店したばかりのお店に入ったお詫びを言おうと、口を開きかけましたが、ふたりの間にあるテーブルにのっているものが目に入った途端、思わず駆け寄りました。
あの、あおいギヤマンです。
俊介は、ふたりのどちらにともなく尋ねました。

「これ、売れてしまったんですか?」

すると、無言で立っていた男の子が、とても驚いた顔をして俊介に、言いました。

「え。これ、欲しいの?」

俊介は向けられた言葉に、男の子を見上げました。
その子は、俊介をまっすぐに見つめていました。大きな目。零れ落ちそうに大きな目はきらきらと光り、時間をかけて磨いた黒曜石のようです。ただきらきらしているだけではなく、冬の暖炉で燃える炎のように温かい目だと、俊介は思いました。
大きな目が、あんまりにも自分の事をまっすぐに見るので、少し気恥ずかしくなってきた俊介は俯いてしまいました。そして、俯いたままで言いました。

「三月前から、ずっと見ていたんだ。とってもきれいなギヤマンだなって、欲しいなって。だけどあんまりにもきれいだから、きっと高いんだろうなと思って、お金を貯めていたんだ。」

するとその子は、ポケットから白いハンカチイフを出して、ギヤマンを包むように手に取りました。そしてそれを、俊介へと差し出しました。
俊介はびっくりして、その子を見上げました。キラキラした目をしたその子は、嬉しそうに笑っていました。笑うと、顔全部が笑っているみたいです。俊介は、尋ねました。

「君が買ったんじゃ、ないの?」

すろとその子は、いいえ、と首を横に振りました。

「これは、僕がこのお店にお願いして、置かせてもらっていたもの。置いてもらうのは今日までっていう約束だったんだ。」
「そういう約束でな。斗真、よかったじゃないか。売り買いするなら、ふたりの間でやりなさい。」

それまで、ふたりの遣り取りを黙って聞いていたおじいさんは、気難しく見えたしわくちゃの顔を緩めました。そして、お店の奥の方へと引っ込んでしまいました。
俊介はその背中にぺこりと頭を下げると、自分に差し出されたままのギヤマンを、恐る恐る手に取ってみました。
それは、ショウウインドウの水晶硝子を通して見ていた時よりも、ずっと小さくて、そしてずっときれいなものでした。手に取ってしまうと離し難い、吸い込まれそうな美しさです。
うっとりと見つめていた俊介は、あ、と大切な事を尋ねました。

「これ、いくらなのかな。僕、銀貨十二枚なら持ってるんだ。足りるのかな。」

すると、斗真と呼ばれたその子は、笑顔のままで首を横に振ると、お金はいらないと言いました。俊介は慌てました。

「それは困るよ。こんなにきれいなのに、何もなしにいただくなんて、それはできないよ。」

すると斗真は、少し困ったような顔をして、話し始めました。

「僕は今、ギヤマン学校に通っている修行中のギヤマン細工師で、これは僕の作品なんだ。けど、これって実は、なんの役にもたたないもので。ほら、壜と蓋が、くっついちゃってるでしょ? こんな風になる筈は、なかったんだけど、」

言われて、俊介はギヤマンの蓋をハンカチイフ越しに摘んで、そっと引っ張ってみました。確かに、びくとも動きません。くっついているように見えた壜と蓋は、本当にくっついていたのです。
けれど、そんな事は俊介にとっては、なんの問題にもなりません。このギヤマンの存在そのものが、俊介のこころを捉えたのですから。

「役に立たないのに、僕はこの作品を気に入ってしまって。失敗作だと思えなくて、規律通りに壊す事ができないでいたんだよ。」

この国に、古くから伝えられているギヤマン細工師の規律では、失敗したギヤマン細工は。作った人間の手によって壊してしまわなければならないと、厳しく定められています。

「壊せないなら、お店に出すなり人に譲るなり、しなきゃならない。でも、使い道のないギヤマンなんて、置いてくれるお店もないから、」

そこで、幼い頃から見知っているこのお店の御主人に頼み込んで、やっと置かせてもらう事ができたのだと、斗真は言いました。

「三月だけという、約束で。それで万が一、こんなものでも欲しいって思ってくれる人があらわれたら、その人にもらってもらおうって、思ってたんだ。」

俊介は、斗真の言葉に耳を傾けながら、手の中におさまっている、ハンカチイフに包まれたギヤマンをじっと見つめました。

「まさか、その三月の間、お金を貯めてこの子を欲しいって望んでくれる、そんな人がいるなんて。余計にお金はもらえない。お願いだから、受け取って? 君ならきっと、誰よりも大事にしてくれる。」

本気で言ってくれているという事が分かり、俊介はようやく頷きました。斗真は嬉しそうに笑って、俊介に何度も繰り返しありがとうを言い、あらためて、ギヤマンをハンカチイフで丁寧にくるんでくれました。
ふたりは揃ってお店を出ました。外はすっかり夜で、吐く息が空気に、ぼんやりと雪白に滲みました。空を見上げると、まんまるい月が光っています。
お店の前でさよならの挨拶の握手をした時、斗真が言いました。

「教会の人だよね? オルガンを弾いてる、」

俊介は少し驚いて、うん。と小さく頷きました。
この町に住んでいたり、仕事や何かで出入りをしている人ならば、たいていは俊介の事を知っています。俊介の知らないところで、俊介は知られているのです。とてもきれいなオルガンの音以上に、とても聡明なのですから。

「僕、あなたのオルガン、好きです。」

面と向かって誤解のしようのない言葉で褒められ、俊介は照れを隠すように俯くと、小さくありがとうを言いました。
斗真はそれじゃあ、と、俯き気味の俊介に頭を下げて、街燈がぽつぽつと点った石畳の道を、俊介の家とは反対の方角に向けて歩き出しました。
俊介は、慌てて斗真を呼び止めました。このまま別れてしまうのが、なんだかもったいないように思えたのです。

「斗真…くんは、どこの学校なの? ギヤマンを作っているところを、見てみたいな。」

この町や周りの町には、ギヤマン細工師を育てる学校や有名な工房がいくつもあります。斗真は、その中でも良い職人が大勢うまれている学校の名を挙げました。けれど、

「実は、明日から修行の旅に出なくちゃならないんだ。規律に定められている、一年間の。この旅から帰ってきたらやっと、一人前の細工師として認めてもらえる。」

続けて残念そうに、こうも言いました。

「あなたのオルガン、一年お預けですね。」

それじゃあ、行ってきます。そう言って、斗真は去ってゆきました。俊介はその場に立ち尽くして、蛍色の街燈と檸檬色の月明りに照らされて小さくなっていく斗真の後姿を、見えなくなるまで見送っていました。





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