romance




Romance

 


月の無い、寒い夜。カズナリは、道に迷っていた。

「………ここ、どこだ?」
白い息をほうっと吐いて、不安げに呟く。その呟きも、これが最初では無い。
それというのも、今歩いている道には、一切の人影が無い。正しい道を尋ねたくとも、人が居なければその望みは叶わない。
不安を紛らわせる為に、声を無理矢理に絞り出しているだけだ。

人が居ないのならば、標識や住所表示や、店の看板等が手掛りになりそうなものだが、それも無い。
というより、手掛りになりようが無い物ばかりが目につく。
『迷宮での迷い方教えます<鏡の中の鏡>』
「教えてほしいのは、抜け出し方、だよ…」
通りすがりの奇妙な店の看板を横目で一撫でして、溜息をついた。
どこかの店に飛込んで尋ねようとするのは、既に諦めている。
幾度か試してはみたけれど、どの店も扉を閉め切っているのだ。一つも余さず。

街燈が点っているのが不思議な程に静まり返った道を、カズナリはひたすら歩く。
今時珍しい白い御影の石畳に、自分の足音だけが響いているのは、余りにも奇妙だ。
耳が痛いのは、寒さのせいだけでは無い。静か過ぎて、耳鳴りがする。
「あー、どーしよーかな・・・って、あ」
気付くよりも早く、足が動いた。

二辻先の街燈の下に簡単な天幕があり、その中には露台が置かれている。
恐らくは、祭りや何かでよく見る、出店だ。こんな季節、街に人気も無いのに不似合いだとも思ったが、そんな疑問は一瞬で掻き消えた。
答えの出ない疑問より何より、其処には人が居たからだ。今のカズナリにとっては、その事実が何より大切だ。
持前の足の速さで石畳を駆け抜け、空色の天幕の中の露台の前に立つ。

其処には、奇妙で脈絡の無いものばかりが並べられていた。
真鍮の歯車。小さなバネ。
螺子の詰まった小箱があったかと思うと、細かな細工が施された花の形の砂糖菓子や、
毒々しい程に鮮やかな色の飴が、仕切りのついた硝子箱に納められている。
他にも、鈍く光る玩具の指輪や銀細工のオルゴオル、使い道の解せないガラクタまで、様々なものが置かれていた。

「お客様には、これなど如何ですか?」

声を掛けられて、我に返った。露台の向こうには、自分とさほど年齢が違うとも思えない、印象的な顔立ちの少年が居た。
少年はにこりと微笑むと、傍に置かれたブリキのバケツから硝子の壜を一本引き上げて、カズナリに差し出した。
海のように深く濃い色の壜は天幕の中の白い明りを反射して、雫を滴らせている。
躊躇いと、好奇心。一瞬の闘いで、後者が勝った。恐る恐る受け取って、眺めてみる。
少し大ぶりな事以外は、何の変哲も無い、羅夢音水の壜だ。
今となっては珍しい、全体が硝子で作られているもので、青みがかった暗緑色の色合いが、懐かしい味わいを湛えている。
店番の少年が、奇妙な言葉を口にした。
「これは、お客様に買って貰いたがっているようなので」
「は?この壜が?」
「いいえ、中身の話です」
「中身って、これ、ラムネでしょ?」
カズナリは笑って、壜を明りに透かしてみた。そして、

「……………な、に…」

笑いは、夜気に浸食されるように凍りついた。壜の中身は、曹達水だけではなかった。
其処には小さな少年が閉じ込められていて、炭酸の微小な泡の立つ羅夢音水の中から、カズナリをじっと見つめていた。




結局カズナリは、その壜を買った。中身を凝視したままで固まってしまったカズナリに、店番の少年は、
「お気に召したのなら、お手持ちの硬貨一枚でお譲りします」
と、笑って言った。
言われるままに、ポケットを探って出てきた硬貨を渡し、その壜を手に入れた。
店番の少年は、幾つかの注意をカズナリに教えてくれた。
月のある夜は、その光をよく当てる事。話しかけるとコミュニケイションは取れる事。
そして、決して栓を抜いてはいけないという事。
ぼんやりとそれを聞いて、店を出ようとしたカズナリは、当初の目的を失念していた事に漸く気付き、店番の少年に道を尋ねた。
少年は思いの外快く、道順を教えてくれた。
教えられた角を曲がって暫く歩くと、何時の間にか、見覚えのある通りに出ていた。無事に家に帰り着いて、ほっと安堵の溜息をつく。

「………これで出してみて、錯覚でした。ただのラムネでしたって話だったら、詐欺だよなー。冬にラムネなんか、飲まないって」
動揺を抑える為にわざと軽口を叩きながら、コートのポケットに突っ込んでおいた壜を取り出して、部屋の明りに透かす。
勿論、月無夜の錯覚ではなかった。少年は、壜の底で眠っていた。炭酸の泡で、髪やシャツが揺らめいている。





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